福岡地方裁判所 平成6年(行ウ)33号 判決 1998年12月16日
甲事件原告
甲野花子
右訴訟代理人弁護士
村井正昭
乙事件原告
乙山月子
右訴訟代理人弁護士
田中泰雄
同
大川一夫
右田中泰雄復代理人弁護士
山田延廣
甲事件被告
大牟田労働基準監督署長敷島光夫
乙事件被告
北九州西労働基準監督署長白壁勝典
被告両名訴訟代理人弁護士
中野昌治
被告両名指定代理人
柴田泰宏
同
佐々木博仁
同
上田浩司
同
梅木豊
甲事件被告指定代理人
後藤景司
乙事件被告指定代理人
木田千恵子
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用中、原告甲野花子と被告大牟田労働基準監督署長との間に生じた分は原告甲野花子の負担とし、原告乙山月子と被告北九州西労働基準監督署長との間に生じた分は原告乙山月子の負担とする。
事実及び理由
第一請求
(甲事件)
被告大牟田労働基準監督署長が原告甲野花子に対し、昭和六三年三月一日付けでなした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
(乙事件)
被告北九州西労働基準監督署長が原告乙山月子に対し、平成元年三月二九日付けでなした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
第二事案の概要
本件は、原告甲野花子が被告大牟田労働基準監督署長(以下「被告大牟田労基署長)という。)に対し、原告甲野の亡夫甲野太郎(以下「太郎」という。)の死亡につき(甲事件)、原告乙山月子が被告北九州西労働基準監督署長(以下「被告北九州西労基署長」という。)に対し、原告乙山の亡養父乙山一郎(以下「一郎」という。)の死亡につき(乙事件)、いずれもじん肺に起因する業務上のものであるとして、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補償給付及び葬祭料を請求したところ、各被告から不支給処分を受けたとして、それぞれその取消しを求めた事案である。
一 争いのない事実
(甲事件)
1 原告甲野は、昭和六二年三月二七日肺がんにより死亡した太郎の妻である。
2 原告甲野は、被告大牟田労基署長に対し、太郎の死亡は業務によるものであるとして、労災保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を請求したが、被告大牟田労基署長は、昭和六三年三月一日付けで太郎の死亡は業務上の事由によるものではないとして、これらを支給しない旨の処分をした。
3 原告甲野は、右不支給処分を不服として、福岡労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたが、平成三年五月二〇日付けで棄却の決定がなされ、更に労働保険審査会に対して再審査請求をしたが、平成六年五月二四日付けで棄却の裁決がなされた。
(乙事件)
1 原告乙山は、昭和六一年一月三一日肺がんにより死亡した一郎の養女である。
2 原告乙山は、被告北九州西労基署長に対し、一郎の死亡は業務によるものであるとして、労災保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を請求したが、被告北九州西労基署長は、平成元年三月二九日付けで一郎の死亡は業務上の事由によるものではないとして、これらを支給しない旨の処分をした。
3 原告乙山は、右不支給処分を不服として、福岡労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたが、平成四年二月一日付けで棄却の決定がなされ、更に労働保険審査会に対して再審査請求をしたが、平成六年一一月二二日付けで棄却の裁決がなされた。
二 争点
本件の争点は、甲乙両事件共に業務起因性の有無であるが、具体的には太郎及び一郎の死亡原因である肺がんとじん肺との間に相当因果関係が認められるか否かが、争点となる。
三 争点に対する当事者の主張
(原告ら)
1 肺がん自体の業務起因性(シリカの発がん性)
太郎及び一郎の死亡原因となった肺がんは、同人らのじん肺の原因となったシリカ(二酸化けい素)によるものであり、業務上の疾病の範囲を規定している労働基準法施行規則別表第一の二(以下「労基法施行規則別表」という。)第七号の18の「1から17までに掲げるもののほか、これらの疾病に付随する疾病その他がん原性物質若しくはがん原性因子にさらされる業務又はがん原性工程における業務に起因することの明らかな疾病」に該当するので業務起因性が認められる。
因みに、じん肺の原因となるシリカの発がん性について、国際がん研究機関(IARC)は「ヒトに対して発がん性がある」と分類しており、日本産業衛生学会及び米国の国家毒性プログラム(NTP)はそれぞれ「より十分な証拠により人間に対しておそらく発がん性があると考えられる」「合理的に発がん物質であることが知られている」と評価している。
2 じん肺の合併症としての肺がんの業務起因性
(一) じん肺患者のり患した肺がんとじん肺との因果関係が、労基法施行規則別表第五号に規定されている「じん肺法に規定するじん肺と合併したじん肺法施行規則第一条各号に掲げる疾病」とじん肺との因果関係と同等であれば、右肺がんは労基法施行規則別表第九号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当し、業務起因性が認められる。
そして、右因果関係が同等であるというためには、じん肺の病変を素地として、これに外因が加わること等により発症する疾病であれば足り、必ずしも粉じん自体に発がん性があることや、じん肺の病変自体が進展してがん化する必要はないから、じん肺に合併する頻度が高いことが充足されればよい。
(二) 医学上、じん肺に原発性肺がんが合併する比率は極めて高く、両者の間に強い相関関係が認められることは今日では動かすことのできない事実であり、疫学的調査によってもじん肺と肺がんとの間には相当因果関係は認められる。
(三) 行政取扱(昭和五三年一一月二日付け基発六〇八号労働省労働基準局長通達、以下「六〇八号通達」という。)は、じん肺に合併する肺がんを業務上の疾病として取り扱う場合を、じん肺が管理四又は管理四相当の場合に限定しているが、相当でない。管理三と管理四の差は明確ではなく、紙一重であるし、管理四のじん肺患者に発生した肺がんに対する医療実践上の不利益は、多くの管理三のじん肺患者にも該当するのであるから、管理三のじん肺患者に合併する肺がんも業務上の疾病として取り扱うべきである。
3 太郎について(原告甲野)
太郎の死亡当時の呼吸障害は管理四に相当するものであり、六〇八号通達によっても太郎の肺がんは業務上の疾病に該当する。
4 一郎について(原告乙山)
(一) じん肺患者の肺がんは、発生部位は右肺原発が少なく、左肺原発が多いところ、一郎の肺がんは、左上肺野の原発であること、一郎の肺がんが喫煙歴によるものと断定できないことからすると、一郎のじん肺合併肺結核と肺がんとの間には相当因果関係がある。
(二) 一郎は、昭和六〇年六月二〇日撮影のエックス線写真上、左上肺野に小結節状の陰影が認められており、エックス線写真上ではじん肺、肺結核のため肺がんの発見が遅れた。
また、一郎は、じん肺による著しい肺機能障害が認められていたため、化学的な対症療法しか受けられなかったが、昭和六〇年当時五四歳であったことから、通常であれば外科的手術も可能であった。
以上のとおり、一郎にはじん肺による医療実践上の不利益があった。
(被告ら)
1 肺がん自体の業務起因性(シリカの発がん性)について
国際機関等において、シリカに発がん性があるのか否かを言及しているのは、原告主張の三機関だけであり、じん肺について国際会議を開催している国際労働機関(ILO)ほか他の多くの機関では、何らの言及もされていないのであり、シリカの発がん性は確立された見解ではない。
2 じん肺の合併症としての肺がんの業務起因性について
(一) 現時点においては、国内外を問わず、じん肺と肺がんとの間に、病理学的因果関係はもとより、疫学的因果関係の存在も未だこれを確証することができない。
両者の間の関連性を肯定する各医学的知見も未だ例示疾病の場合に準じる程度に強固な関連性を肯定しうる一般的な医学的経験則として共通の認識になっているとは認められないのであり、これらの医学的知見に基づいて原告らのじん肺と肺がんとの間の因果関係をたやすく推定することはできない。
(二) 管理三と管理四の区別は明確であり、六〇八号通達は妥当性がある。
3 太郎について(被告大牟田労基署長)
太郎の管理区分は管理三であり、管理四ではない。死亡当時の状況も管理四の程度には至っていない。
4 一郎について(被告北九州西労基署長)
(一) 一郎が従事した粉じん作業は遊離けい酸の含有率が低く、一郎のじん肺は「けい肺」ではないのであるから、じん肺と肺がんとの因果関係がないのは当然である。
(二) 一郎の肺がんには医療実践上の不利益はなかった。
第三争点に対する判断
一 太郎の死亡に至る経緯等
争いのない事実及び証拠(<証拠略>)によれば、次の事実が認められる。
1 太郎は、大正五年三月二一日生まれの男性である。
太郎は、昭和二三年一〇月から昭和四一年五月まで三井鉱山株式会社三池鉱業所三川鉱において、仕繰夫、掘進夫又は採炭夫として粉じん作業に従事し、昭和四三年一一月四日同社を退職した。
2 太郎は、昭和三一年九月に初めてじん肺有所見の診断を受け、昭和三四年一一月にはじん肺管理区分管理二の決定を受けたが治療を受けずに勤務を続けた。しかし退職後は体調がすぐれず、昭和六一年六月ころから咳、痰がひどくなって、身体の衰弱を訴えるようになり、同年一〇月二二日荒尾市民病院に入院した。
3 太郎は、同病院における主治医である藤瀬隆司医師による検査の結果、左肺野に巨大塊状陰影が認められ、扁平上皮がんとの診断を受けた。
4 太郎は、藤瀬医師の指導によりじん肺管理区分の決定に関する申請を行ったところ、昭和六一年一二月二六日付けをもって、福岡労働基準局長より、管理三イ、療養否の決定を受けた。
5 太郎は、同病院で療養中の昭和六二年三月二七日満七一歳にて原発性肺がん(扁平上皮がん)により死亡した。
6 荒尾市民病院における看護日誌の嗜好欄には、「喫煙一〇本/一日、(昔は二〇本以上すっていた)」との記載があり、太郎には喫煙歴があった。
二 一郎の死亡に至る経緯等
争いのない事実及び証拠(<証拠略>)によれば、次の事実が認められる。
1 一郎は、昭和六年三月一日生まれの男性である。
一郎は、昭和二四年から昭和二五年まで(一年三か月間)福岡県北九州市所在の清新組において鉱滓バラス処理工として、昭和二六年から昭和二八年まで(二年一〇か月間)八幡製鐵株式会社八幡製鐵所においてセメント荷役、船積み、貨車積みに、昭和二九年から昭和三三年まで(四年三か月間)清新産業株式会社においてバラス溶滓処理工として、昭和三三年から昭和三九年まで(六年七か月間。ただし、このうち一年七か月間は労災事故による入院のため就業せず。)同社において石灰石削岩工として、それぞれ粉じん作業に従事し、その後は大阪市、神戸市において、荷役、土木、鉄鋼関係の仕事及び日雇労働に従事していた。
2 一郎は、昭和五三年一〇月医療法人仁泉会阪奈病院で肺結核と診断されて入院治療を受けた。
昭和五五年七月一八日医療法人南労会松浦診療所で、じん肺健康診断の結果、じん肺結核と診断された。
昭和五五年九月二四日付けで大阪労働基準局長より、じん肺管理区分管理二(PR1)合併症肺結核、要療養の決定を受け、療養補償、休業補償給付がなされた。
昭和五七年四月一三日阪奈病院で、肺結核は重症であり、空洞が認められ、大陰影の区分は四A、管理三ロ肺結核合併と診断された。
昭和五九年一月九日からアルコール依存症により医療法人恒昭会藍陵園病院に入院していたが、昭和六〇年六月一八日に三日前より呼吸困難を強く訴えるので胸部単純エックス線写真を撮影したところ、多量の胸水貯留が認められ、小細胞がんと診断された。
一郎は、胸膜炎、頻脈性心房細働(ママ)の病名で同医療法人藍野病院に入院加療中の昭和六一年一月三一日満五四歳にて原発性肺がん(小細胞がん)により死亡した。
3 養女である原告乙山の聴取書によると、一郎は一日二〇本くらいタバコを吸っており、喫煙年数は明らかでないものの、喫煙歴はあった。
4 一郎の粉じん作業歴は、セメント粉じん二年一〇か月、スラグの粉じん四年三か月、石灰石の粉じん六年七か月である。
三 業務起因性についての判断
1 肺がん自体の業務起因性(シリカの発がん性)について
(一) 争いのない事実及び証拠(<証拠略>)によれば、シリカの発がん性について可能性を肯定した主な見解として次のものがある。
(1) 国際がん研究機関(IARC)による評価
IARCによると、結晶性シリカは、動物実験に対する発がん性には十分な証拠があり、ヒトに対しては限定された証拠があるとして、一九八七年(昭和六二年)の段階で「ヒトに対しておそらく発がん性がある」というグループに位置づけていた。その後、一九九七年(平成九年)に発表したモノグラフにおいて、結晶性シリカの職業性吸入曝露は「ヒトに対して発がん性がある」と分類したが、炭じん曝露については、約一〇パーセントの結晶性シリカを含むものとの前提において、ヒトに対して発がん性を有するグループに分類することはできないと判断している。
(2) IARC以外では、米国の国家毒性プログラム(NTP)は、結晶性シリカを、ヒトでの調査では発がん性の限定された証拠があるとして、一九九一年(平成三年)「合理的に発がん性物質であることが知られている」グループに分類し、日本産業衛生学会は、一九九一年(平成三年)「人間に対しておそらく発がん性があると考えられる物質」のうち「証拠がより十分な物質」に該当するとしている。
なお、イギリスにおける労働災害審議会(<証拠略>)は、一九九二年(平成四年)職業性シリカの曝露に関連した肺がんを労災の認定疾患に加えるよう勧告している。
(二) しかしながら、じん肺に関して国際会議を開催している国際労働機関(ILO)や米国産業衛生専門家会議(ACGIH)等はシリカの発がん性について評価を発表していないこと、IARCの一九九七年見解に対しては、志田寿夫(<証拠略>、平成九年)が、右見解は高齢による肺がんの発生頻度の上昇及び喫煙者の肺がん発生頻度の高さについての言及が足りず、高濃度のシリカ吸入を前提に出されたもので、低濃度の結晶性シリカすなわちけい酸塩の発がん性に関してはデータが少なく、がん原性を認めた結論は信頼し難いといわざるを得ないとの意見を述べていること、第九回国際職業性呼吸器疾患学術会議におけるシンポジウム(<証拠略>)においても右見解に対する意見が分かれていたことに照らすと、前記の各見解だけでは直ちにシリカの発がん性を肯定することはできないというべきである。
2 じん肺の合併症としての肺がんの業務起因性について
(一) 昭和五一年九月以降、千代谷慶三ほか七名の専門家によってじん肺と肺がんとの関連に関する専門家会議が開かれたが、その検討結果(<証拠略>、昭和五三年)は、大要次のとおりである。
(1) 実験病理学的成果
じん肺とこれに合併した肺がんとの病因論的関連性については、未だ不明の点が多く、これを解明しうる実験モデルの作成は困難である。これまでの実験成果から得られる情報は乏しい。
(2) 病理学的検討
がんの組織型や原発部位のみから直ちに職業性のがんであるか否かを判断することは困難である。
粉じんの吸入量と肺がんの合併頻度との間に量反応関係が欠けているようにみえる報告もあるが、じん肺における病変の多彩さ等を考えると、直ちに両者の量反応関係を否定し去ることはできない。
現状では、病理形態学的立場からじん肺性変化が肺がんの発生母地になり得ると断定するには、証拠が乏しい。
(3) じん肺と肺がんの合併頻度
じん肺剖検例の検討では、けい肺を主体とするじん肺患者に高頻度に肺がんが合併している現象は、全国的な拡がりにおいてみられる可能性のあることが示唆される。
一般病院施設における外来、入院患者の調査結果では、全体として肺がんの合併頻度は高い傾向にあった。
(4) 疫学的情報及び考察
現在得られてる疫学的情報は極めて限られたものでしかない。今後、肺がん合併の頻度分布に関する正確な資料を収集するとともに、けい酸又はけい酸塩粉じんのもつがん原性についての検討やけい肺自体が示す前がん病変に関する医学的な意義の解明が重要と思われる。
(5) じん肺合併肺がんに対する行政的保護措置の必要性
じん肺と肺がんの因果関係の立証については、なお解明すべき医学的課題が残されているが、我が国のじん肺と肺がん合併の実態は、じん肺剖検例及び療養者において高頻度であることが明らかである。しかも、じん肺合併肺がん患者を取り扱った一般医療機関の臨床医師により、<1>肺がんの早期診断がしばしば困難となる、<2>肺がんの内科的、外科的適応が狭められる、<3>じん肺と肺がんの両者の存在のもとでは一層予後を悪くする等の医療実践上の不利益が指摘されていることからすれば、何らかの実効ある補償行政上の保護施策がとられることが望ましい。
(二) じん肺と肺がんとの関連に関する専門家会議以後の議論
千代谷慶三(<証拠略>、昭和五六年)、菊地浩吉、奥田正治(<証拠略>、昭和五六年)、安田悳也ら(<証拠略>、昭和五六年)、労災病院プロジェクト研究結果報告(<証拠略>、昭和六二年)、海老原勇(<証拠略>、平成元年)、海老原勇ら(<証拠略>、平成二年)、大阪におけるけい肺認定患者のコホート研究(<証拠略>、平成三年)、山本真(<証拠略>、平成五年)の各見解は、じん肺患者に肺がんが多く発生していること等を指摘し、じん肺と肺がんとの有意な関連性を示唆している。また、このうち、海老原ら(<証拠略>)及び山本真(<証拠略>)の見解は有意な関連性を強く肯定するものとなっている。
一方、横山哲朗(<証拠略>、平成三年)、和田攻ら(<証拠略>、平成四年)、東敏明(<証拠略>、平成五年)は、前記の見解を批判し、確実な因果関係は不明であるとし、また、じん肺り患者の病後の経過に関する調査研究結果報告(<証拠略>、平成五年)は、両者の有意な関連性を認めていない。
(三) メタアナリシスの試み
アラン・H・スミスら(<証拠略>、平成七年)は、けい肺と肺がんに関する各疫学的文献につき方法論的検討を行うメタアナリシスの一般原理に従い評価した結果、けい肺症そのもの又はその基礎にあるシリカへの曝露の直接影響によってじん肺と肺がんとの関連は因果関係があるとの意見を出した。
津田敏秀ら(<証拠略>、平成八年、<人証略>)は、同様にメタアナリシスを試みた結果、じん肺患者において肺がんは多発するという仮説は支持されると考えられるとの意見を出した。
(四) 喫煙と肺がんとの疫学的因果関係
喫煙と肺がんの疫学的因果関係については、(1)関連の一致性、(2)関連の強固性、(3)関連の特異性、(4)関連の時間性、(5)関連の整合性、という基準に基づいて論じられているが、喫煙と肺がんの関係は、量反応関係を含め右基準を満たしており、一般的に疫学的因果関係が認められている(<証拠略>)。
3 因果関係についての判断
(一) 訴訟上の因果関係の立証の程度については、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性までの証明が必要であり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを要し、かつ、それで足りると解するのが相当である。
そして、本件におけるじん肺と肺がんとの因果関係のように優れて医学的専門的分野の問題は、専門家の研究、疫学的知見、実験的知見、肺疾患に関する内科学、病理学等の現時点における到達点を十分に取り入れた上で、それら科学的認識と共通の基盤に立つことを前提に判断されるべきである。
前項認定の医学的見解の中には、じん肺と肺がんとの間の関連性が高いことを示すものがあるが、疫学的因果関係を肯定するものについては、分析疫学的考察の欠如、対象集団の偏り、関心度の偏り、交絡因子の影響の問題等いずれも合理的な疑いを入れることが可能な程度に、その手法への批判があり得るところである。また、メタアナリシスは、客観的記述的手法として価値のあるものと見ることができるが、重み付けを明確にし、文献検索におけるバイアス、発表バイアスに十分な留意をする必要があるとともに、正確な統計学的手法とは言い難い面があり、複雑な臨床の問題に決定的な単一の解決を与えるものとはいえない。
そして、じん肺又は肺疾患に関連する国際会議においても、じん肺と肺がんとの一般的因果関係を示唆する内容の討議はあるものの、これを正面から認める結論を出す状況にはなく(<証拠略>)、あるいは、じん肺と肺がんとの関係についての仮説を指摘する見解(<証拠略>)も未だ仮説の域を超えていない等、結局、現在の医学的知見では、じん肺と肺がんとの間の関連性が示唆されるにとどまり、直ちに高度の蓋然性をもって両者の間の一般的因果関係を認めるに至っていないというべきである。
また、本件においては、太郎、一郎両名共に相当期間の喫煙歴があるという事情があり、両名についての因果関係の判断に当たってはこのことも考慮に入れる必要がある。
以上によれば、じん肺と肺がんとの間の一般的な因果関係を認めることはできず、また、原告ら主張のメタアナリシスの結果の重要性を考慮しても、本件における太郎及び一郎のじん肺と肺がんとの間に通常人が疑いを差し挟まない程度の高度の蓋然性をもって因果関係があるとは判断できない。
なお、原告らは、労基法施行規則別表第五号、じん肺法施行規則第一条各号の規定との比較から、肺がんは、じん肺に合併する頻度が高いことが充足されれば労基法施行規則別表第九号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当すると主張するが、右の一事をもって訴訟上の因果関係を肯定することはできない。
(二) 原告乙山は、一郎の肺がんの発生部位等を根拠に同人の肺がんとじん肺との間に相当因果関係がある旨主張するが、じん肺患者の肺がんの発生部位として一定の傾向を認める医学的見解及び研究結果は見られるものの、一郎の場合と異なり右肺原発が多いとの結果報告もあり(<証拠略>)、発生部位から直ちに肺がんとじん肺との間に相当因果関係があると結論することは相当ではない。
4 六〇八号通達の相当性
労災補償行政上、六〇八号通達において、じん肺法による管理区分が管理四で現に療養中の者及び管理四相当であると認められる者に発生した原発性の肺がんのみを業務上の疾病として取り扱うものとしている。原告らは、管理三と四の差は紙一重であり、この点を不合理であると主張しているが、肺がんの早期診断の困難、外科的、内科的治療の適用範囲の縮小、予後の悪影響等の不利益が高度に進展したじん肺病変によるものであることからすれば、労災補償行政上、じん肺管理区分管理四又は管理四相当の者に限って、一律に業務上の疾病として取り扱うことは、相応の合理的根拠を有するというべきである。
四 太郎の管理区分(原告甲野の主張)
原告甲野は、太郎の死亡当時の呼吸障害は管理四に相当すると主張している。確かに、臨床医である藤瀬医師は、死亡当時は去痰困難、喘息強く、左は全肺無気肺となっており、呼吸障害からすると管理四に相当するとの診断をしている(<証拠略>)。しかしながら、小野庸医師は、肺機能障害は、肺がんによる呼吸機能の低下と考えられ、じん肺による高度肺機能障害とは認められないと診断し(<証拠略>)、後藤郁郎医師は、昭和六一年一一月一二日の肺機能検査所見は、左肺の肺腫瘍により肺機能の低下が予想された結果であり、少なくともじん肺のみによる肺機能はF+、あるいはそれより上が予想されると診断しており(<証拠略>)、前記藤瀬医師の診断の結果は直ちに採用できない。したがって、太郎の死亡当時の状況が管理四相当であるとする原告甲野の主張は採用できない。
五 医療実践上の不利益の有無(原告乙山の主張)
1 前記三4で述べたように、六〇八号通達が労災補償行政上、じん肺管理区分管理四又は管理四相当のものに限って、一律に業務上の疾病として取り扱うことは相応の根拠があるが、その根拠が医療実践上の不利益にあることに鑑みると、管理四又は管理四相当でなくても、じん肺により肺がんの発見が遅れたり治療の適用範囲が狭められるなどの医療実践上の不利益があり、その不利益の程度が著しい場合には、右肺がんの病状の持続ないし増悪と業務との間には相当因果関係があると認めるのが相当であり、その場合、右肺がんは労基法施行規則別表第九号にいうその他業務に起因することの明らかな疾病に該当するというべきである。
2 そこで、一郎の肺がんに関して、医療実践上の不利益があったかについて検討するに、証拠(<証拠略>)によれば、以下の事実が認められる。
(一) 一郎のじん肺所見は、昭和五五年三月一八日当時、小陰影の区分1/0で粒状影のタイプp(直径一・五ミリ以下)で、大陰影はなく、その後の検査でも変化がないと思われる(昭和五九年以降のエックス線写真には小陰影及び粒状影に関しての医師の記載がないこと、大陰影の区分について、昭和五七年三月二九日及び昭和五八年一月六日撮影分に「A」との記載があるが、その後の撮影分には記載がなく、じん肺管理医の意見のように肺結核陰影を誤って大陰影としたと推察される。)。
(二) 一郎は、昭和六〇年六月一八日に三日前より呼吸困難を強く訴えるので胸部単純エックス線写真を撮影したところ左胸腔に多量の胸水貯留が認められ、細胞診断の結果、小細胞がんと診断された。
(三) 藍陵園病院忌部実医師作成の平成元年一一月二九日付け意見書によると、昭和六〇年一月一二日撮影の胸部エックス線写真所見及び昭和六〇年一月二九日撮影の胸部CT所見には肺結核の所見が認められるが、肺がん発見のきっかけとなった胸水の大量貯留は認められておらず、昭和六〇年三月一二日の胸部単純エックス線写真の所見も入院当初と同様である。
(四) 一郎は、胸水の排液、化学療法により症状は一旦改善したが、がん性悪液質の状態となり、昭和六一年一月三一日死亡した。
(五) 小細胞がんは速やかな増殖、早期からの広範な転移を示し、現在の診断技術によって切除可能と考えられる場合でも手術療法は予後を改善し得ず、治療はもっぱら化学療法が主体となる。
3 右事実によれば、一郎につき、じん肺を原因として肺がんの発見が遅れたことや治療の適用範囲が狭められるなどの著しい医療実践上の不利益があったとは認められず、原告乙山の主張は採用できない。
六 結論
以上のとおり、被告らが太郎、一郎の死亡は業務起因性がないとしてなした各不支給処分は適法であるから、原告らの請求は理由がなくいずれも棄却することとする。
(口頭弁論終結の日 平成一〇年九月九日)
(裁判長裁判官 草野芳郎 裁判官 和田康則 裁判官 石山仁朗)